rontoraの日記

発達障害で人生を悩んでいる人のブログです

コンサータの効果

こんにちは、ロントラです。

現在私は毎日コンサータ 36mgを服用しています。

コンサータには、18mg、27mg、36mgとあります。

必要になれば、18mgを組み合わせて45mg、54mgと増やしていきます。

コンサータとは主にADHD特有の不注意や衝動性を抑える事が出来ます。

私は飲んだ事はありませんが、ストラテラと比べて効き目が早く現れるみたいです。

私は18mgから服用を始めました。

飲み始めた最初は今までの違いに感動しました。

 <コンサータの作用>
 ①1つの事に集中でき、仕事の効率が上がった

 ②物事を先延ばしにせず、やる気や意欲が上がった

 ③仕事中は休憩を必要とせず、眠気がなくなった

これは本当に助かりました。

しかし、コンサータとはかなり強い薬です。

副作用が常日頃私に付きまとってきました。

 <コンサータの副作用>
 ①発想力、ひらめきがなくなった感じがする

 ②食用減退 2週間で体重が5kg減りました

 ③薬の効果がなくなると疲れが一気にくる

私が今もコンサータを飲み続けています。

薬の効果が大体10~12時間なので出社する前に服用しています。

休みの日は服用していませんが、最近体が薬に慣れた気がします。

あまり効果を実感しなくなりました。

こうなると薬の用量を増やすかストラテラに切り替える必要がありそうです。


悩みを共有する大切さ

自分と同じ立場の人を探すのにあたって、病院や支援機関というのは全く当てになりませんでした。

病院は薬を渡すだけで私個人が悩んでいる事に対してはあまり相談に乗ってくれませんでした。

公共の支援機関では土日が休みで平日の17時までとか、仕事と並行して通うのは非常に難しそう

でした。

しかし、ネットで検索すると発達障害の当事者同士が自主的に発達障害者の生き方について勉強

会を開いていたりなど、探してみると規模は小さいですが活発に活動していました。

私はまずこの勉強会に参加するところから始めました。

自分らしく生きるために

自分自身が発達障害の当事者と分かるとこれまでの物の見方がガラッと変わりました。

仕事ができない自分がどのようにすれば上手くいくのかという方法を改めて認識したという感じで

す。しかし、同時に些細な失敗まで「自分は発達障害者だから」という甘えの気持ちも強く感じるよう

になりました。

現在、私は障害者枠ではなく一般枠で働いています。

つまり、健常者の方と同じ給料をもらっている為、その分健常者の方と同じ成果を求められます。

そんな中で「自分が発達障害者だから」という気持ちは仕事に対する成果の妨げになると考える

ようになりました。

しかし、発達障害の当事者という自分の立場を理解してくれる人がいないとストレスで体調を崩して

しまいます。

その為、最初は自分と同じような立場の人々と悩みを相談できる環境を見つけようとしました。

失敗ばかりの人生

中学2年にして引っ越しをしましたが、引っ越し先の学校では部活動にこそ入りませんでしたが

友達も大勢でき、それなりに楽しい日々を過ごしました。

そして受験を経て、高校、大学と進学しましたが、年をとるにつれ「自分は何か人とずれている」

という気持ちが増していくばかりでした。

 ・人と話しても内容が理解できない

 ・忘れ物が激しい

 ・限度が分からず、やっていい事と悪い事の区別がつかない

 ・人の気持ちが理解できない

 ・自分の気持ちを上手く表現する、伝える事ができない

これらの症状は社会人となった今でも続いています。

そして、仕事に対する失敗が増え、自分のやる事判断する事が本当に正しいのかと

自信を失い、常に誰かから指示を受けないと動けない状態になってしまいました。

本来、先を見越して目の前にある問題に対処しなければならないのですが

これまで失敗しかしてこなかった自分では先を見越しても目の前の問題を本当にこのような

判断していいのかと疑ってしまい、結果仕事ができないレッテルを貼られています。

経験を積んでいけばいいのですが、短期記憶ができない私にとっては以前発生した

問題でも初めて取り組むかのような状態なので、周囲から呆れられています。

ADHD自閉症、吃音症と様々な壁が私を阻んでいますが、これらを上手く扱う事こそが

今後の自分の人生を左右するものだと思い始めました。

中学生の頃

中学生に上がり、また環境が一気に変わりました。

しかし、この変化は私にとってかなり好都合でした。

それはいじめがなくなった事と部活動を始めた事です。

小学生の時に私をいじめていた主犯格は中学ではクラスの隅っこにいるようなタイプに

なりました。そしていじめがなくなったのです。

当時の中学校は給食でしたが、私は周りの友達にも恵まれ、運動系の部活動に入部し

楽しい日々を送りました。

勉強は下の上くらいの成績でしたが、部活や恋愛にと中学生らしい青春を過ごしていました。

中学2年になり、また一つ環境の変化が起こりました。

父が転勤となり、引っ越しをしなければなりませんでした。

小学生の頃

小学生になっても泣き虫は改善されませんでした。

給食もあり、学校に行きたくなく毎朝家で泣いていました。

しかし、当時は運動神経はよく、スポーツも万能であった為友達は多い方でした。

学校が終わると公園で集まって友達と遊ぶのですが、私は同年代の友達と遊ばず

2歳年下の弟の友達と遊んでばかりでした。

私の人生が大きく変わったのは父の仕事の都合で転勤した事でした。

小学校5年生で転校して、環境が一気に変わりました。

新しい学校では初めこそは上手くなじめる事ができました。

というのもどんな人に対しても気後れせず、人懐っこく話していたからでした。

今思うとADHD特有の症状が上手く作用したかなと思います。

しかし、小学校6年生になった頃体に大きな変化が起こりました。

私は小学校低学年までは体重も軽く、痩せた体系でしたが

野菜嫌い+お米、お肉、お菓子大好き+育ち盛り=肥満体

更に泣き虫とどんくさい性格も災いして一部のグループからいじめの対象となりました。

日常的に暴力の対象やお金まで盗られました。

当時の記憶は何十年たった今でも覚えています。

このような経験から私は思った事を上手くしゃべれなくなり、いわゆる吃音気味になってしまいました。

 

吃音は社会人となった今でも続いており、苦しめられています。

気が弱い私はただひたすらいじめに耐えてばかりの日々でした。



幼少期のころ

皆さん、こんにちは。ロントラです。

前回の日記で偉く口上を垂れ流してしまいましたが、今回は私の幼少期の頃についてお話したい

と思います。

私は幼稚園のころからかなりの泣き虫&お調子者でした。

なにかあるとすぐ泣いてしまい、調子に乗るとクソ生意気な子供だったと思います。

当時(今もですが)私はかなりの偏食でした。

野菜、果物、貝や卵が食べれず、いつも肉と白ご飯しか食べていませんでした。

その為、幼稚園から給食が大嫌いでした。

給食を食べるのが嫌で毎日家で泣いてた覚えがあります。

今思うと両親に感謝ですね。

なんとか大学まで面倒みてもらいましたので・・・

正直、幼稚園の記憶はあまりありません。

毎日泣いてた思い出しかないです。

私の人生が大きく変わったのは小学校に上がってからでした。